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チベット独立の”夢”

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by

Minori Ogawa

on 6 December 2015

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Transcript of チベット独立の”夢”

Conclusion
チベットの努力不足
冷戦
以上により、
この仮説は成り立つ!!

チベット独立の”夢”
帝国主義時代
第一次世界大戦~
第二次世界大戦
ダライ・ラマ9世~12世
「輪廻転生」
一時的に肉体は滅びても、魂は滅びることなく
永遠に継続すること

転生者が亡くなると
49日(まれに2.3年)以内に生まれ変わる

ギャルツァプ(摂政)
・ダライ・ラマ不在の時に代わりを勤める人物
・ダライ・ラマ捜索の総責任者
・ダライ・ラマが成人(18歳前後)に達するまで
 最高責任者として国を治める

実際に行ったこと
58歳まで生きた
実権を譲り受けてからの
年数が長かった
中国からの関心低下
独立できる
チャンスの到来
なぜ独立の道に
進まなかったのか
第一次国共内戦
(1927~1937年)
ダライ・ラマ13世
国際社会に認めてもらいたい
近代化を行いたい

過去から継承した
仏教振興策を
行ったのはなぜか?
チベット内部に
改革の指向がなかった
ダライ・ラマの立場は
安定したものではなかった
ダライ・ラマは十分な影響力を発揮できず
寺院の権力闘争に阻まれ、ダライ・ラマが
権力を行使できなかった
ダライ・ラマ8世が遷化して以来
置かれている
摂政をはじめとした僧侶らが
実権を握る時期が長かった
ラサの四大院の名跡の中から
チベット議会を通じて選出
仏教振興策として5か条の布告を出す
①経済的・学問的支援
②僧院における規律の維持向上
③仏教的伝統の維持

大寺院が障害となっていた
権力のダイアグラム
矢崎 正見 「十三世ダライ治下におけるチベツト政廳の動きについて」
浅井万友美「ダライ・ラマ13世(1876-1933)の宗教政策 : 仏教振興策とその要因」
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 HP
成人以前、または
成人前後に遷化
Google map
ダライ・ラマ14世
転生ラマ制度を
廃止したい

「自治権の拡大」を
認めてほしい
英西関係 -WW1影響下-

「チベットの主権国家体制が整わなかったから」
高橋信行著『統合と国家』(2012)
ジョセフ・S・ナイ・ジュニア著『国際紛争[原書第9版] 理論と歴史』(2013)
久米郁男・他著『政治学』(2003)
①政府は存在するか
②憲法は存在するか
③領土に正当性はあるか
④国民は政府を支持しているか
⑤国家承認が為されているか
国家の三要素
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 HP
田中公明『活仏たちのチベット
―ダライ・ラマとカルマパ―』

田中公明『活仏たちのチベット
―ダライ・ラマとカルマパ―』
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 HP
田中公明『活仏たちのチベット―ダライ・ラマとカルマパ―』
③領土に正当性はあったのか?

岩下明裕『領土という病ー国境ナショナリズムへの処方箋』北海道大学出版社、2014年


⑤国家承認がなされているか
国連× 加盟してない。
条約× チベットモンゴル相互承認条約は?
多喜寛『国家承認と国際法』中央大学出版社、2014年
ポタラ宮殿(首都ラサにある)
チベット騒乱(2008)
簡略チベット史
      
①独立国家としてのチベット
●1639-1947  ①清②英領インド③中華民国④インドとの関係
           独立国家として承認

★1949年     中華人民共和国 チベット侵攻 
        ⇒チベット攻撃(4000人以上のチベット兵死亡)


★ 1951年     中共・チベット17ヶ条協定
         中国領土の一部に組み入れられる。
 
             17か条協定
 
        チベット支配の足掛り

    簡略チベット史
②チベットの抵抗史(1950-2008)

1950年       
国連に提訴

     ラサ(首都)でチベット蜂起開始
        

          
中国 軍事行動 
       
 
1980年 
ダライ・ラマ 米議会の人権会議で演説

            
EU欧州議会でストラスブール提案

1990年 チベット人焼身自殺

2008年 
チベット騒乱(北京五輪が関係)

      参考:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
         http://www.tibethouse.jp/
Map!
④国民は政府を支持しているか
・チベット国内のナショナリズムが未熟だった
→独立という選択肢は存在しなかった!

ナショナリズムとは
「自分の所属するネーションを自分と一体視し、その国家とし
ての独立、統一、発展を最上の価値と思う思考、あるいは運動」
チベット侵攻(1950)以前は、
部族を単位にした緩やかな宗教共同体、
チベット人のデモは起こっていない
確認されたのは
1954年 カム反乱・ゴロク反乱
ナショナリズムの形成は、
封建的農奴制によって遅れた?
13-20世紀初頭 封建的農奴制が存在
19-20世紀 農奴制は解体過程に

⇒1959年の農奴解放まで、国内のナショナリズムは形成され難い状況にあった!
大西広著『解放前チベット農奴制の状況と解放の効果について』(2009)
UK: インドの独立運動に傾倒
国共内戦
VS
中国共産党
国民党
1949年:中国共産党勝利!
田中公明『活仏たちのチベット―ダライ・ラマとカルマパ―』
第1レベル:国際社会システム
国際社会はチベットの独立を望んでいたか?

1642年から由来するチベット政府
1959 ダライ・ラマ14世による亡命政府の成立

  目次

   序文
   チベットの憲法
 一、前文
 二、基本的権利と義務
 三、土地
 四、国家の指導理念
 五、行政
 六、立法
 七、司法
 八、地方行政
 九、再扁成
 十、憲法の修正


ダライ・ラマ『チベットわが祖国』
亜細亜大学アジア研究所(1986)


②憲法は存在したが、草案・公布は
遅かった
英露協商
シムラ条約
TIBET
a.帝国主義時代
b.第一次世界大戦
c.第二次世界大戦
d.冷戦期
第3レベル 個人ファクター
田中公明『活仏たちのチベット
ーダライラマとカルマパー』
領土=『国家の生存の空間』
先占=実効支配の必要性
チベットの憲法  
1963年3月10日
ダライ・ラマ公布
第2レベル 国内事情
①政府は存在したが、曖昧なもの
⇒国民は政府を支持しておらず、独立を望んでいなかった!
分析方法:
3レベル分析
仮説
第1レベル : 国際社会システム


第2レベル :  国内事情


第3レベル : 個人ファクター
     
       「
チベットの努力不足説

 
        つまりチベットは・・・
       自国の権益を守るための
      対応・詰めが甘かったのでは?
チベット弾圧

冷戦
国際社会
大国のパワーゲームに   
利用されただけだった。(リアリズム)
清朝の崩壊
WW1,
WW2
二枚舌外交
冷戦下
主権・国民・領土
Google map
Map!
1951年:チベット侵攻
1972年:ニクソン訪中
日米接近!!
清朝崩壊
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