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ドイツの統一
イタリアの統一
ウィーン議定書で成立したドイツ連邦 … 分裂状態のまま
①イタリアの主な勢力
1834ドイツ関税同盟 … 普主導で、北ドイツの経済的統一を達成
・教皇領
1848年革命 フランクフルト国民議会
・フィレンツェ共和国
・両シチリア王国
→ 小ドイツ主義による自由主義憲法が成立
but プロイセン王はドイツ皇帝になることを拒否
=ナポリ+シチリア
・サルデーニャ王国
1861ヴィルヘルム1世が即位
・オーストリア領
ヴェネツィアなど
1862ビスマルクが首相となる
→「鉄血政策」による強国化
copyright(C)第一学習社
ヴィルヘルム1世
ビスマルク
②イタリア統一の過程
1866普墺戦争
→プロイセンが勝利 大ドイツ主義 < 小ドイツ主義
→1867北ドイツ連邦を結成、北ドイツを政治的に統一
1)1848年革命後の2つの動き
・マッツィーニ率いる「青年イタリア」が
ローマ共和国を成立させたが、仏が干渉して解体
南ドイツ諸邦もプロイセンへの編入を希望
敗れたオーストリアは
ハンガリーを王国として認め、
同君連合となる
→オーストリア=ハンガリー帝国の成立
マッツィーニ
・サルデーニャ王カルロ=アルベルト
→イタリア統一のために墺と戦ったが、敗北
1870-71普仏戦争
→抵抗した南ドイツ諸邦もプロイセンに併合
→1871ドイツ帝国の成立
2)サルデーニャ王国による統一
国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世と
その宰相カヴールによる近代化
クリミア戦争参戦
→サルデーニャの地位向上
ヴィットーリオ
エマヌエーレ2世
カヴール
プロンビエール密約
サルデーニャがフランスにサヴォイア地方とニース地方を割譲することを約束し、フランスはサルデーニャの対オーストリア戦争を支援することを約束
1859イタリア統一戦争
フランスの協力を得てオーストリアよりロンバルディア地方(北イタリア)を獲得
1860フィレンツェなど中部イタリアを併合
→これまでの行動を支持したフランスに約束通りサヴォイア・ニースを割譲
1860ガリバルディが両シチリア王国を征服
→このままサルデーニャ王に献上
1861イタリア王国の成立
その後
1866ヴェネツィアをオーストリアより奪う
1870教皇領を併合 → 教皇との絶縁
but「未回収のイタリア」も存在
イタリア系住民が多く住んでいるのに
イタリアの領土になっていない地域