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Trascrizione

『随筆レオナルド•ダ•ヴィンチ』の序文で、魚藍観音の奇怪なイメージを生成させた観山424

中国の説話。とある村に籠に魚を入れて売り歩く絶世の美女が現れ、村の男たちは相争って求婚する。美女は法華経をすべて暗記した者の妻になると告げ、三日三晩かけてこれを成し遂げた一人の若者が約束通り美女を娶ることになる。ところが、婚礼当日、この美女が実は観音の化身だったことが判明する。観山はこの主題を大正13年(1924年)にも絵画化しているが、1982年版作品の図像はそれとは全く異なっており、中腹に描かれた美女は=魚藍観音の面貌は何とモナリザと化している。発表当時この作品は、作品の意図がまったく不可解であるなどと数多く批判に晒された。いやしくも日本画界の重鎮である観山が、わざわざこうした大胆な実験に及んだことははなはだ奇異に思われたのである。

不気味な三人の男性。

グロテスクな顔の習作

洗礼者ヨハネの指

そもそも観音は男性性と女性性が混合した両性具有的なイメージを持つ仏である。423

このヨハネは

レオナルドによって新しく解釈

された、新しく創造された独自な

「洗礼者ヨハネ」である。

これは重要な問題を含む。

レオナルドの制作に長い過程があることは、その間に構図その他の絵画的様式の変容だけでなく、

主題そのものの思想的解釈にも変容過程があると考えられてよい。

・・・それにしてもレオナルドのこのヨハネは甚だ異様である。おおよそ聖書的なイメージに反し、砂漠の汚れた苦行者が異教的な妖美な青年になっている。福音を宣べる人の如くではなく、巫女の如く、謎を秘めた微笑をしている。布告ではなく、問いかけている。しかも答えがたい問いを。

【ダ・ヴィンチ・コードが波紋を呼んだ理由】

① キリストは神ではなく、人間だった。

② 人間であるキリストは、マグダラのマリアとい  う女性と結婚し、子供をもうけていた。

③ 教皇の権力によって、キリストは神格化され、  キリストは人間ではなく、神の子へと作りかえ  られた。

④ ダ・ヴィンチは秘密結社の総長という設定。

  隠されたキリスト教の真実を絵画の中に暗号を  埋め込み、伝えようとしていた?

洗礼者ヨハネ

バーリントン画

モナリザ論考(1974)

ダ・ヴィンチが死ぬまで手放さなかった3枚の絵画

三者の間には内面的な関係が想定されてよい。・・・実際にこれら三つの作品の間には、様式、技巧的成熟、気分、雰囲気、品格においてほとんど差がなく、連作と称してよい親近性が認められる。・・・これら3つの作品相互の間に三部作とみなしても良いような外面的ならびに内面的な類似性・相関性が認められる。・・・これらの三作品は、いずれも単純な作品ではない。ともに長い過程を持ち、様々に変容し、生成した結果の作品である。しかし、結果として三者いずれも同一の様式、同一の気分のものとなった。・・・実際は連続した一つの作品、唯一つの作品であるとすら言えるかもしれない。全作品が一にして同一の連作といってもよいであろう。

モナリザ    聖アンナとマリア  洗礼者ヨハネ

この手の美しさは、あらゆる絵画が創造した最も美しい手としてすべての人の賛美するところである。この手の美しさは言葉では表現し得ない。確かにレオナルドが負誇するように言葉の表現力の制限を思わせる。我々の仏像の中にこれに匹敵するものを知るのみである。

・・・微笑は相対する人に対してでなく自己に対してである。外に向かってでなく内に向かって微笑する。微笑は孤独者の微笑である。それ故微笑には声はない。相対者のない意味では超越的である。仏教においても拈華微笑する者は仏陀と同心の聖者である。(モナリザ論考)

レオナルド・ダ・ヴィンチ

(1452−1519)

洗礼者ヨハネ

バッカス

イタリア・ルネサンスの万能の天才

ミケランジェロ・ラファエロと並ぶルネサンス三大巨匠の一人。

2003年に発売された「ダ・ヴィンチ・コード」は、世界44言語に翻訳され、7000万部の大ベストセラーになり、今なお、

世界的注目を浴びる人物。

最後の晩餐(1498) レオナルド・ダ・ヴィンチ

最後の晩餐は、当時、『絵画の頂点』と言われ、

ダ・ヴィンチの名声は全ヨーロッパに伝わった。

フランス王ルイ12世が、あまりの美しさに感動し、壁ごとフランスに持ち帰ろうとしたが、断念。

歴史家ブルクハルトは、最後の晩餐を

「この動揺に満ちた傑作」と呼んだ。

この構図の斬新な流暢さは、ある意味では物語的なーほとんど「映画的な」といってもよい。時代を超えて

今日にも影響を与える普遍的名作。

【構図3 ダ・ヴィンチ・コード】

【最後の晩餐の特徴】

ダ・ヴィンチの暗号の作り方

〈従来〉フレスコ画 (フレスコの語源はフレッシュ) 

漆喰を塗り、渇かないうちに絵の具をのせる必要がある。(8時間以内)

→耐久性はあるが、色が制限されること、重ね塗りや描き直しが不可能。

〈ダ・ヴィンチ〉油性テンペラ 

漆喰が完全に渇いた後に、薄い膜をつくり、亜麻油と卵を混ぜた顔料を使用。

→描き直しは可能だが、耐久性は未知数。

結果 : 壁面が湿気を吸い込んでしまい、劣化。

「最後の晩餐」は、わずか数十年で「多くの斑点」の状態になり、19世紀初頭にはナポレオン軍の兵士たちによって痛めつけられ、さらに1943年の夏には連合軍の爆撃をかろうじて免れた(食堂の建物は爆撃で半壊したが、壁画の描かれた壁は残された)

20年間の修復作業、約17億円の費用が投じられた。このときの作業の大半は、過去の修復によって加筆された絵の具を除去することを目的として行われた。

修復家ピニン・ブランビッラ・バ ルチロンは、”偉大な病人”であるかのように扱った。オリジナル絵の表面は20%ほどしか生き残っていなかった。

M: マグダラのマリアのM

暗号、

それは、

西洋と常識を超える物語の接続詞だった。

【構図1】

レオナルドはよく早朝にやってきた。

それから足場に登り、仕事を始める。

ときには、夜明 けから日没まで一度も絵筆をおくことなく、

食べることも飲むことも忘れて休みなく描き続けることもあった。そうかと思うと、二日、三日、あるいは四日ものあいだ、

まったく絵筆を手に取らずに作品の前で数時間も立ちつくし、

腕組みをして、

心のなかで人物像を仔細に検討し批判していることもあった。

また私は、太陽が一番高い正午頃の時刻に、

突然の衝動に駆られた彼が、

素晴らしい粘土の馬を制作しているコルテ・ヴェッキアから出て、真直ぐサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院へやってくるのを見かけたこともある。

そうしたとき、彼は日差しを避けて歩くことも頭になく、

そのまま足場によじ登り、

絵筆を取って画面にひと筆かふた筆入れると、また去って行くのだった。

ドメニコ・ギルランダイオ 最後の晩餐 1480

ギルランダイオ 最後の晩餐 1486

驚き 合図 問いかけ 議論

【構図2】

(1486)

(1498)

【5大変更点】

①ユダの位置

②光輪全員なし

③ヨハネの姿勢

④動物が不在

⑤自然が遠方へ

(木→山)

構図:北守説

アンドレア・デル・カスターニョ 最後の晩餐1447

後列   前列 

ドメニコ・ギルランダイオ 最後の晩餐 1476

ダ・ヴィンチにとって自然とは?

【ノアの洪水の否定】

受け売りの知識にダ・ヴィンチが対置してみせるのは、「自然」だ。当時の文脈では、「自然」とは物質的世界の自然現象を意味するだけではなく、

現象の背後にある生成力と原理をも意味しており、その両方が自然哲学の考察対象である。

「あらゆる教師たちの女主人たる自然をおいて、それ以外のものを基準に据える人々は、空しく徒労を繰り返すほかはない」。

神は人間たちの悪を見て、この地上から

人間を払い去ってしまおう。鳥や獣までも。もう一度新たにやり直すのだと、と言って、ノアの方舟を造らせました。

ノアの家族と鳥や獣を一つがいずつ、その船に乗せたのち、洪水を起こして、それ以外の生き物を全て抹殺したというのです。

人間や動物を創っておきながら都合に反せば、

一度に殺すとは、愛の神どころか、

鬼のように思え、到底信じられませんでした。

山から貝の化石が発見されたとき、人々はノアの洪水が実際にあったと喜んだのに対し、ダ・ヴィンチだけはそれが土地の隆起によって起こったのだと結論づけた。

この著作において、お前は第一に、千ブラッチャの高地にある貝殻は、ノアの大洪水で運ばれたものでなかったことを証明すべきである。なぜなら、それは同一水準に見られるが、その水準の上におびただしい山々が高くそびえ立っているのも見られるからである。そして、大洪水が雨のためかそれとも海の氾濫のためであったかを明らかにし、次いで貝類は重いものであるから、河川を増水させる降雨によっても、また海の氾濫によっても、海から山に押し上げられる訳でもないし、また河川によってその水の流れに逆行して引きずり上げられるはずのないことを明らかにすべきである。

(レスター手稿)

ここに一つの疑惑が生じる。すなわち、ノアの時代に襲来する大洪水は普遍的なものであったかどうかということである。ここでは、以下述べるようないくつかの理由によって、否であるようだ。・・・(アトランティコ手稿)

多くのペテンや偽の奇跡で愚かな大衆を騙して商売をした。そして、もし誰かが彼らのペテンを見破ったとわかると、彼らはその人を罰したのである。

(パリ手稿F )

私が神様を胎児として描いたとき、あなたはわたしを牢獄へ投じた、が、私が神様を大人に描けば、あなたはもっとひどい目にあわせるに違いない。

(アトランティコ手稿)

ある司祭が、聖土曜日に自分の信者がいる地域をまわって、いつものように家ごとに聖水をかけていくうち、たまたまある画家の部屋に入った。そこでもその水を絵の上にふりかけたので、その画家は後を振り向いて、ややむっとしながら、なぜ自分の絵にそんなお水をかけるのか、と言った。すると司祭は、こうするのが慣習じゃ、こうするのが自分の義務じゃ、自分は良いことをしたのじゃ、よいことをする者はよいこと、否、一層よいことを期待すべきなのじゃ、神様がそう約束されたからじゃ、地上でなされたあらゆるよいことは、天上では百倍になって返ってくるじゃろう、と言った。すると画家は、相手が表に出てくるのを待ち構えて、窓の上に乗り、その司祭の頭へ大バケツ一杯の水を浴びせた。こう言いながら。「さあ、天上から百倍になって来ましたぜ。あんたは、お水でわしの絵を半分台無しにしてくれたが、その聖水であんたがわしにして下さった良い行いから生じるとおっしゃった通りでさあ」

(アトランティコ手稿)

人間の才能がさまざまな発明を行い、同一の目的に適うようにさまざまな道具を用いたとしても、自然ほど美しく、容易で、目的に合った発明をすることはないだろう。自然がする発明においては何一つ過不足がなく、たとえば動物に、運動に適した四肢を与える際にも、平行を保つ重りなどを必要としないのである。魂の定義については、民衆の父である修道士たちの考えに任せよう。彼らは霊感によってすべての神秘に通じているのだから。聖なる書物についてはふれないままにしておこう。これは至高の真理であるから。(解剖手稿)

また、ダ・ヴィンチは、神という言葉をなるべく使わず、

神の代わりに、

自然

作者

造主物

巨匠

必然

等の言葉で表現した。

(20代イギリス人女性)

猫や鳥などの動物が不在であり、自然と分厚い壁の隔たりがあるのは、キリスト教の動植物に対する”冷酷な考え方”を表現しているのではないか。

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