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西洋哲学史(古代~中世)

主に自分の勉強のために纏めている西洋思想・西洋哲学の歴史です。古代から中世まではこのPreziに纏める予定。
by

Kaito Y.

on 4 September 2013

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Transcript of 西洋哲学史(古代~中世)

西洋哲学・西洋思想
古代ギリシャ哲学
ヘブライズム・セム的一神教
中世イスラーム哲学及び神学
キリスト教神学
ピュタゴラス教団
エレア派
イオニア派
アルケラオス
ソクラテス
プラトン
アリストテレス
大王アレクサンドロス
ソフィストたち
ストア学派
エピクロス派
凡例
円形のフレーム
は「学派」を表す
角形のフレーム
は「学者個人」を表す
赤い矢印
は他者の学説に影響を与えたことを示す
黄色い矢印
は批判的見解を示す
タレス
「万物のarche(起源)は水である」と語る。これは、古代ギリシャ人の神話的伝統では比較的一般的な考え方であるとも言われる。
アナクシマンドロス
archeを特に限定せず、無限なるもの(to apeiron)であるとした。彼はarcheという言葉を最初に使った人間とも言われるが、実際には後世の後付らしい。
アナクシメネス
万物のarcheを空気pneumaとした。呼吸が生命を作るが如くに、空気が世界を作っていると考えた。
また空気が薄くなったものが炎で、濃縮されたものが水や固体であるとした。
新プラトン主義
ピュタゴラス
ピュタゴラス学派の開祖。万物のarcheを「数」とした。また、輪廻の考えを持っていたが、これはオルペウス教の信仰に影響を受けてのことだと言われる。ピュタゴラス自身の来歴としては、エーゲ海のサモス島で生まれ、エジプトに遊学した後にイタリアのクロトンへ移住した。
彼の説いたことの一つに、人間は肉体という牢獄に閉じ込められた存在である、という点がある。
聴聞派
ピュタゴラスの生前の教えを頑なに守ろうとした一派。禁欲的生活の順守に専心した。
学究派
ピュタゴラスの死後、彼の教えを更に発展させることを企図した一派。数学、幾何学、音楽、代数学等を発展させることに寄与した。
クセノパネス
パルメニデス
エレアのゼノン
メリッソス
アナクサゴラス
「万物の種子」spermataという概念を提唱した。この種子というものはそれ自体は不生不滅であって、しかし種子が混合・分離することで「生成消滅」が生じるとした。たとえば、肉は肉以外のものからは生じない、パンを食べれば肉が生じるが、それはパンに肉の種子が含まれていたからだとする。
しかし、知性(ヌース)だけは別で、ヌースが混沌に旋回運動を与えたお蔭で秩序ある世界ができたとする。
アナクサゴラスの弟子であり、師の学堂を受け継いだ。自然哲学をイオニアからアテナイへもたらしたのみならず、倫理学をも手掛け、自然哲学と実践哲学の架橋的役割を果たしたとも言われる。彼の倫理思想は、正不正の別は自然本来においてではなく人為によるものとする相対主義・便宜主義的な思想であった。
・ソフィスト出現の背景
ソフィストたちが跋扈するようになったのも社会的な理由があった。本来「ソフィスト」という呼び名は賢者智者を意味していたが、やがてソクラテス、プラトン、アリストテレスらの批判を受け「詭弁師」というほどの意味にまでなってしまった。
1.ペルシャ戦争での勝利によりアテナイの国際的地位が高まり、人と富とがアテナイに集結した。
2.同時に国内では戦勝に貢献した一般市民の発言力が増大し、民主政治が栄えた。民主制においては弁論が重要な意味を持つ。
3.ギリシャ世界の拡大は地中海世界の交易拡大に繋がり、各民族によって社会的慣習や法制度が異なることが知られ、法と正義が相対的だと考えられるようになった。
4.交易は富を増大させ、ソフィストに支払い能力がある有産階級の層を厚くした。
5.ペロポネソス戦争ではアテナイは戦時外交を展開し、それは実利実益を追求する便宜主義的風潮をも広めた。
プロタゴラス
ゴルギアス
イオニアのコロフォンに生まれた。諸国を吟遊詩人として漫遊の後、エレアに定住して「自然について」という詩を書いた(現在は残っていない)
彼はホメロスやヘシオドスが描いた多神教的世界観を否定し、神は「一者」であり「その姿も思考も死すべき者ども(=人間)に少しも似ていない」「(神は)全体として見、全体として思考し、全体として聞く」のであり、「労することなく、その心の想いによってすべてを揺り動か」し、「常に同じところに留まって少しも動かない」など、ギリシャの伝統的な宗教観とはかなり違った神の概念を思い描いていたようだ。これを一神教と称しうる、との見解もある。
「存在」の哲学者と称される。エレアに小貴族として生まれた。彼は探求には2つの道があるとした。一方は「存在する」「『存在しない』はありえない」とする真理の道、もう一方は「存在しない」「『存在しない』があらねばならない」とする思惑の道。真理の道は一見当たり前に見えるが、この「A=A(同一律)」という当たり前のことを初めて明確に指摘したのはパルメニデスだと言われる。しかし、現実には存在するものが存在しなくなったり逆もまた頻繁に起こる。だが、あくまで論理的に考えるならば「『存在する』は存在する」としか言えない。これよりパルメニデスは「思考と存在は同じである」と主張した。
「アキレスと亀」のパラドクスで有名な哲学者。彼はこのアキレスと亀を含むいくつかのパラドクスを考案し、いわゆる帰謬法の祖と見做されている。
・アキレスと亀……アキレスはギリシャ神話に登場する韋駄天。さて、ここでアキレスと亀が競走するとしよう。ハンデとして亀は10mだけ先方から出発して良いこととする。ここで、アキレスは亀が出発した地点まで到達したとする。しかし、その間に亀も少しは前進している。するとまたアキレスは亀のいる地点まで前進しないといけないが、その間にも亀は前進し、……結局アキレスは亀に追いつけない(?)
サモス島出身。イオニア派の「濃化稀化」の概念を否定した。
ソフィストの第一人者。万物の尺度は人間である、という「人間尺度論」を展開した。この人間中心主義的な観方から、「神々については、存在するとも存在しないとも……知りえない」と結論付けたが、この言葉が不敬であるとしてアテナイより追放された。
ソフィストとしての能力に秀で、「ソフィストの技術の父」と言われた。彼は、
1.何も存在しない
2.あるとしても人間には理解できない
3.たとえ理解できても他人にそれを伝えられない
とし、不可知論の立場をとる。
ソクラテスが当時主流であった自然哲学を行わなかった理由
ソクラテスは、当時主流であったイオニア自然哲学を以下の理由から批判し、それを学究していない。
・自然哲学は独断的であった――当時の技術的水準から言っても、自然哲学の体系を実地に証明することは困難であった。にも関わらず、自然哲学者たちは恰もその場にいて見合わせたかのように語った。これをソクラテスはまず批判した(その後千年以上の時をかけて自然哲学は技術の進展によって復活し科学となったが)
・役に立たない――ここでいう「役に立たない」は工学的な意味で役立たないということではなく、ソクラテスが本質的だと考えたこと、即ち「いかに人間は善く生きるべきか」といった点で役立たないという意味である。
以上の2点から、ソクラテスはイオニアの自然哲学の伝統よりも人間に関することに注意を向け、実践哲学の礎を築いた。
黒い矢印
は一人の哲学者内における思想の変遷を示す
長方形のフレーム
は概念、コンセプトを表す
アポロンの神託
ある時、彼の友人であったカレイフォンという人物がデルフォイにてアポロン神に伺いをたてた。すなわち、「ソクラテスを凌ぐ智者はありや」と。神託は、「否」と答えた。ソクラテスはこれに悩んだ。自分がそれほど智者であるとは思っていなかったからである。そこで彼は、世に智者と名高い人々を沢山訪ねてみた。政治家、詩人、職人、そしてソフィストなどである。しかし、彼らのうち誰一人として、「自分は人間が生きていく上で何が最も大事か」を知らず、また「自分が無知である」ことも知らなかった。やがて、そうしてソフィストを論破していく彼を実際に智者であると認め若者たちが集まってきた(その中にはプラトンもいた)
だが、やがてソクラテスを憎悪する者が現れる。言うまでもなく、お株を奪われたソフィストや政治家らである。彼らはソクラテスを「古来の神々を信じぬ涜神の徒、また若者の心を乱す秩序紊乱者」として告発、死刑に処した。彼は従容として毒杯を仰いだ。
師、ソクラテス
プラトンが育った家庭はソクラテスと親交があり、幼少期からプラトンはソクラテスの精神的影響を受けつつ育った。
ソクラテスの最期
ソクラテスが処刑されようとしていた時、実はまだソクラテスには幼少の子供がいた。ソクラテスの友たるクリトンは彼らのためにも脱獄し逃げて生き延びるよう勧めるが、しかしあくまでソクラテスは自らの信念に従い甘んじて刑を受けると言って聞かなかった。「子供という弱い者のために法を破ることこそが善い生き方である」とするクリトンと、決して自分の信じる道を譲らなかったソクラテス。
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